猫を起こさないように
日: <span>2005年10月31日</span>
日: 2005年10月31日

今日、素敵なことがあったよ!

「あなたのホームページでは、”おたく”という語の定義が非常に曖昧なまま使われてはいないか」という批判は、私の差し出すこのちり紙で、秋にもかかわらず肉と肉の隙間から滴るその腹部の汗をぬぐってから行って頂きたいものだが、定期的に寄せられる質問のひとつではあるので、この機会に回答しておきたい。ほんの思いつきではなく、次回以降の「生きながら萌えゲーに葬られ」ともリンクする話題であり、裏話を求める諸君の出歯亀的性向を同時に満足できると考えるからである。

結論から言えば、当ホームページにおける”おたく”とは世界という真理を得る際に各人が代入すべき「n項」を表しているのである。つまり、そこへ諸君の執着する何を代入して読んでもらっても構わないのだ。改行無しの文章は「ネット向きではない」などとして読まない姿勢を持った、抽象思考のできない諸君にもわかりやすく例を挙げることにする。実のところ、親でも恋人でも配偶者でもない私が、金も萌え画像も送付しない諸君にここまで優しくする義理なんて、露助ほども無いのだが! ”おたく”という単語を含んでさえいれば、どのフレーズでも構わない。しかし、あの感動的な7月の国”エバーラスティング”から引用したい。原文はこうだ。

 ……おれはずっとおたくだった。傍観者だった。世界がかくあることの痛みを最終的に我が身に引き受けることをせずに、何ひとつ実感のない空理空論をふりまわしていた……

もし、君が怪奇小説に執着を持つなら、こう読むべきだ。

 ……おれはずっと怪人赤マントだった。傍観者だった。世界がかくあることの痛みを最終的に我が身に引き受けることをせずに、何ひとつ実感のない空理空論をふりまわしていた……

もし、君が海外文学に執着を持つなら、こう読むべきだ。

 ……おれはずっと一匹の巨大な毒虫だった。傍観者だった。世界がかくあることの痛みを最終的に我が身に引き受けることをせずに、何ひとつ実感のない空理空論をふりまわしていた……

もし、君が歴史に執着を持つなら、こう読むべきだ。

 ……おれはずっとオクタウィアヌスだった。傍観者だった。世界がかくあることの痛みを最終的に我が身に引き受けることをせずに、何ひとつ実感のない空理空論をふりまわしていた……

もし、君がブルマーよりもキャミソールに執着を持つなら、こう読むべきだ。

 ……おれはずっとキャミソールだった。傍観者だった。世界がかくあることの痛みを最終的に我が身に引き受けることをせずに、何ひとつ実感のない空理空論をふりまわしていた……

どこまでも続くから止めるが、要するに諸君のすべてが普遍性に到達できるように、わざと”おたく”の定義を甘く書いてあるのです。

”オクタウィアヌス”がミクシィ管理者によって検閲されたちまち村八分、の想像に煩悶しながら記述を終える。